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ヤスパースの生涯を知る

原点回帰の必要を感じて、カール・ヤスパースの『戦争の罪を問う』(平凡社ライブラリー)を読んでいる。今はちくま学芸文庫で『われわれの戦争責任について』というタイトルで出ている。昔は『責罪論』という書名だったらしい。数日たつが読み切れてないのは安保法制の「どがちゃが」があったせいで、本日ようやく戻ってきたというわけ。これはなかなか凄い本で、読んでいるうちに「ヤスパースって、どんな人なんだろ?」という疑問がふつふつわいてきて、こうなると止まらないたちなので評伝を2冊読んでみた。1冊は「人類の知的遺産」シリーズのもの。もう1冊はロ・ロ・ロ伝記叢書のもの。いずれも懐かしいシリーズ。全集編集者のハンス・ザーナーの書いたロ・ロ・ロは情報量が多いが、哲学そのものの解説はわからないから評伝部分だけ読んだ。ヤスパースはハイデルベルク大学でマックス・ウェーバーと同僚だったのね。かなりの後輩になる。でも、すぐにウェーバーが死んでしまう。ずいぶん啓発されたようだ。だから一書を捧げている。「了解と説明」についての本もある。その意味ではウェーバーの衣鉢を継ぐ人なんである。ところがナチスドイツの政権掌握を経て、一気に肩身の狭い生活に入る。妻のゲルトルートがユダヤ人だったからだ。ただ、彼自身はわりと「なんとかなる」と思っていたようで、結局ドイツを出なかった。しかしゲルトルートをナチスに連れ去られる可能性がどんどん高くなり、夫婦は青酸カリを用意して、そのさいには自殺する決意をしていたという。連行はもう時間の問題という瀬戸際でナチスドイツは崩壊。ぎりぎり助かるのである。その命がけの限界状況を体験しているから、しかも内側で見ていたから、断罪も厳しいのだろう。死んだ(殺された・戦死した)友人・教え子も多く、ハイデッガーのようにナチスに迎合した友人もあり、戦後はハイデルベルク大学の再建の当事者になって苦労しているから、見極めも厳しい。ハンナ・アレントは弟子筋にあたり、膨大な手紙が残っていて、往復書簡が翻訳で3冊になる。後年はバーゼルに移住して長生きし、きわめて多くの著作を残した。この分量たるや、すごい。

私が学びたいのは、第1に「戦争責任」、第2に「限界状況」に関する理論、第3に「西欧中心主義からの脱却」である。限界状況という言葉を知ったのは、たしか大学1年生の外書購読でマンハイムの『現代の診断』を読んだときだったと思う。そのときは単純に戦争のことだとぼんやり理解していた。以来、ずっと放置してきた言葉だ。3点目については、晩年ウェーバーの信奉者らしく、東洋思想を思索に取り込んでいることである。詳細はまだわからないが確認したいことだ。

というわけで、もう少しヤスパースを読みたいと思っている。