インフォアーツ領域

中間知識のブリコラージュへ

説明という一方通行路

安保法制がらみで提案者側から再三語られた言葉がある。「説明」である。何度「国民の皆さんに丁寧に説明したい」というフレーズが繰り返されたことか。「説明」それは発話者側に知識があり、聴取者側に一方的にそれが受容されるべきだとの前提で成り立つ言葉である。

私自身も教員として「説明」をする。教室の講義におけるヘゲモニーは教員がにぎっており、教員のもつ知識が「説明」という形で伝えられる。昨今の大学では、こうした一方通行路の限界が指摘され、PBLなどの双方向的な議論が推奨されているが、その指導が下請け企業に受け渡されるわけではない。今のところ。

「説明」は一方通行路だ。そこに発話者の妥協の余地はない。質問には答えるが説明事項に修正が加わるわけではない。「説明します」というとき、それは発話者は自己修正を断固拒否するという遂行的な宣言をしていることになる。それが聴取者にはよくわかる。その宣言を受け入れることを強要されているという事態を認識することは、それほど難しくはない。こちらからの応答の回路が閉ざされていることを前提に「説明」を受け入れられるだろうか。

ヘゲモニーの上位にある人は、そこから想像していかないと、自分の発話は「説明という指令」にしかならないことを認識すべきである。それはあえて意志的に行う、ひとつの倫理である。