インフォアーツ領域

中間知識のブリコラージュへ

筒井康隆の「モナドの領域」を読んだ(ネタバレあり)

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昨日は学部の選書リスト作成で夜までかかってしまった。1冊も読まないのは悔しいので筒井康隆の「モナドの領域」を読んだ。ネタバレすると、美大教授に憑依したGODが世界の破れを補修する一連のプロセス。最後の最後にそういうことだったかとわかる。私には「モナドの領域」が「ノマドの領域」に見えるし、公園で質問会をしているシーンはほとんど戸田城聖だし、GODが語る世界観はほとんど法華経である。レヴィストロースも入っている。ネタ領域がほとんどかぶっているなあ。まあ、素材はあちこちから持って来ているのであろうが、ただし、料理の技はやはり天才のものだ。読んでスッキリしたのが不思議。

自己言及エンジンですか

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おとといに伊藤計劃のことを書いて、いろいろ教えてもらったら、矢も盾もたまらず地元に出来たばかりのくまざわ書店で関係書を買ってきた。伊藤計劃と仲良しの円城塔の「Self Reference Engine」が見逃せないと感じて一緒に買ってきた。自己言及エンジンですか。私はノベルは書かないが、タイトルは、やられた感満載だなあ。

ちゃぶ台返しか、カタストロフィか?

安保とか戦争とか、いろいろ考えてきたけど、どうして人びとは重要なことほど後回しにするんだろうか? 瑣末なことから解決した方がとりあえず案件は片付いたように錯覚するけど、そうしたアプリケーション層の案件はたいていOSレベルのトラブルでいとも簡単にくつがえされてしまうのに。むしろ最初から「ちゃぶ台返し」をして根っこから問題解決に臨んだ方がいいように思うのだが。みんな、それを避けてしまう。逃げる、逃げる。でも、遅かれ早かれ、来るものは来るから、そのときはとんでもなくこじれて解決不能になってしまうのではないか。こうしてカタストロフィが降下してくるのだ。

知的寛容へ

尊敬する同業者の投稿を見て共感して書くのだが、総じて知的営みに必要なのは、ピアレビューという名の相互監視ではなく、むしろ知的寛容ではないだろうか? 最近、哲学系の本を読むようになって、知的営みにはこういう自由が必要だといっそう強く思う。創造の芽をすばやく摘み取ることがアカデミズムだとは思わない。昨今の大学人の自己抑制も強すぎる。マンハッタン計画から冷戦時代にかけて構築された研究スタイルへの隷従をちゃんと見直したほうがいいんじゃないの? たとえば中古市場のように稀少な見所があれば高く評価するしくみを作ったほうがよい。ハズレかどうかは、総じて歴史が判断することだろ。ま、今夜はここまで。

リクール再発見

20年ほど前にはブームが終わったかのように見えたリクールだが、インターネットの大騒ぎに取り乱れて、すっかりご無沙汰であった。だいたい自分なりの考え方が定まってくると、今度は上向法的にいろんな思想の位置価が見えてくる。ヤスパースはその1人。リクールもまた、私には近しい思想家である。巷の優等生たちは、もうみんな「オワコン」で済ませているようだが、私にはそうは見えない。2年生用の社会学概論として書いた『リフレクション』以来、停止してきた思考を再開する。f:id:nomurakazuo:20151030131308j:image

シリーズ大学をざっと読み

必要があって借りてきた大学論。それなりの自論はあるのだが、その位置価を確認したかったので俯瞰できる講座ものをざっと読み。大学改革の大嵐の中、大学問題って、たんに業界話じゃあなくて、社会の存立基盤に関わる問題になっている。一見、社会が大学を作るように見えて、じつは大学が社会を作ってきたところがあるんだよね。エリート層や技術革新や経済成長についてはもちろん、民主主義的な社会の構築も、そういうことじゃあないのかな。
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マイナンバーは航空母艦と同じ。安全保障の問題だ。

マイナンバーで高度な個人情報が一挙に名寄せできるようになった。メリットがあると言うが、ユーザーサイドからすれば、免許証もパスポートもないおばあちゃんがケータイを買うときに提示できるぐらいじゃなかろうか。喧伝されている「便利」なんて、ほんとくだらないことばかりである。手続きのために何回か役所に行くのが、そんなに苦痛なんだろうか。伝えるメディアサイドの人も、ほんとにそれらがメリットだと思っているのであろうか。だとしたら、なんと不勉強なことか。どうしてマスコミには、そういう低リテラシーの人ばかりが集まっているのかが理解できない、いまどき。ま、学校歴選抜方式がおかしいんだよね。優等生の持つ学力は、現実社会の理解とはほとんど連結していないから。

マイナンバーのメリットは行政サイドにのみある。これは一方的なメリットだ。住民管理ツールが実態なのである。もちろんこれはある程度は必要である。むしろ、それぞれの部門でしっかり管理してもらいたい。なにせ社会保険庁時代はひどいものだった。ちゃんとしてほしい。

けれども、分散する高度な個人情報を一丁づけるメリットに見合うだけのリスク管理がされているのかが大問題である。セキュリティが完璧であればいいが、実態はほど遠い。ほんとに遠すぎる。

そもそもサーバーサイドが心配。なぜなら外注だから。外注先は下請けに出し、下請けは孫請けに出し、実際にはアルバイトがやっている・・・という日本の情報システム業界は信用できない。業界改革なしには無理だ。むしろちゃんと「制服組」組織を制度化して内製化したほうがベターだと思う。ちゃんとみんな公務員にする。自衛隊並みの規律も必要。なぜなら情報システムは要塞であり武器だから。航空母艦と同じである。「これは危ないよ」と危惧する人もいるとは思うが、国産OSも国産セキュリティツールも主流になっていない日本では、そっちの方がベターだと思う。これは安全保障の問題なんだよ。

さらに、直接端末を操作する担当者のセキュリティ意識を高めるのは容易ではない。かつて「サーバーを直接管理する端末なんだから、せめてバスワードは月一でいいから変えようよ」としつこく言っても、ふつうのリテラシーの人は「めんどくさい」で終わりである。こっちは「めんどくさいことを言う人」とレッテルが貼られて終わり。さらに配置転換で担当者のリテラシーは元に戻る。これはどんどん劣化する。必ず。なぜならリスク・リテラシーの高い人の仕事は組織内にどんどん増えていくからだ。コンピュータで個人情報を扱わない組織はない。いまどきの入社試験で必要なのは英語ではなく、こっちのほうじゃないかな。英語はそのうち自動翻訳でなんとかなるよ。

こういう一般的な警告を無視すること自体もじつは問題である。執行者サイドは「自分の立場を防衛する」ために、そうした警告を「クレーム」と定義して対応する。たいていは対応しない。ちゃんと応答しない。相手にしない。原発再稼働問題と同じである。かれらが守っているのは「人びとの安全」ではなく「自分の立場の安全」なんだよね。

これから具体的なトラブルがゾクゾクとでてくる。被害者がそれを自覚することは、あまりない。自覚するときは、すでに手遅れになったときである。それをひとつひとつ丁寧に拾って対処できるだけの能力が現場にあるんだろうか。もともとない能力をつけるためには相当のトレーニングが必要だと思う。1日とか2日の研修でできるわけがない。

端末の問題もある。いつまでWindowsの古いのを使っているんだろうか。せめてリプレイスをしてほしい。できれば国産OSでマイナンバー専用端末を配備してほしい。マイナンバーは航空母艦と同じなんだ。安全保障の領域である。

内田樹・岡田斗司夫『評価と贈与の経済学』を読んだ

昨日はいろんな勉強をしていて、これといった達成感がないので、夜は内田樹・岡田斗司夫『評価と贈与の経済学』を読んだ。私はもともと岡田さんに近い考えなので、この対話は予想以上におもしろかった。ふたりの共有理論は贈与経済だね。労働力の等価交換とは正反対。まず与える。ビジネスも教育も、まず与えることから始める。そこから反対給付義務が発生して交換過程が起動する。この交換のサイクルが周りを巻き込みながら共同体のようなものを形成していく。仲好しである必要はない。交換が進行していればいい。見返りのようなものはずっと遅延して、いつか自分にも帰ってくるが、それは目的ではない。財産でも知識でも労力でも気遣いでも愛でも、なにか持ってる人が、できることをしていく。こう要約すると身もふたもないが、自発的な社会環境形成の思想だと思う。こういうのは教師はわかる。親はわかる。志あって仕事に取り組んでいる人もわかる。損得勘定ではない領域があるのだ。世知辛い即時的等価交換じゃあ、ひとは交換可能な労働力に還元されてしまう。交換可能であれば数値でランキング評価されて社会の中に自動的に配置されるだけである。それじゃマトリックスでしょ。だから贈与はマトリックスへの抵抗なんだよね。

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内田樹『街場の中国論』『街場のアメリカ論』は読んだぞ

安保法制がずんずん進んでいた中で読んだ2冊。この2冊については、まだ言及していなかったので、米中首脳会談にさいして一言。アメリカも中国もそれぞれ理解が難しい。反米とか嫌中とかの立場に感情的に固定してしまうと、もう何も見えなくなる。広い国土、さまざまな集団、とくに中国は長い歴史、アメリカの愛国、革命と戦争の歴史、そういう大前提が見えなくなると、判断も誤ってしまう。少なくとも、どういう思考法を取るのかがわからない。かといって、まじめな研究書を読んでも、結局、よくわからないのだ。大局観に立てないから。とずっと思っていて、どうしたものかと思っていたら、内田樹さんが丁寧に説明してくれていた。大学院の授業でリスポンスとして話したことをまとめたものである。こういう大ざっぱで、なおかつ見通しのつく語りを読みたかった。ここから米中理解を始めるといいんじゃないかな。私なりにまとめると、内田さんは「アメリカなるもの」「中国なるもの」のそれぞれに集合的精神構造のようなものがあって、そこから歴史や現実を眺めると、けっこう一貫性があるということを指摘している。いわゆる「お国柄」というか「心の習慣」「ハビトゥス」のようなことがらである。読んでみると、私たちが日本語圏において流通している知識(ステレオタイプ)が、意外に間違っていることを思い知らされる。すぐ読めるわりには、得られるところの多い本だ。ま、立場を設定してものを考えるのはやめにしよう。私はやめた。デフォルトから考える。

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花村太郎『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)を再読する

この本、1980年の「別冊宝島」として出た本である。当時購入して、よく手に取った覚えがある。今回、文庫化されたので読み直したのだが、こういう「吹っ切れた」本がこの時期に出ていたことにおどろく。「別冊宝島」の石井(名)編集長の要望に花村さんがちゃんと応えている。でも案外正統派でもあって、教養の幅が並ではない。自分もけっこう影響されていたなあとしみじみする。要するに「自力で勉強するにはどうすればいいか」について正面から向き合った本である。ふつうのアカデミシャンは大学院あたりで知的サークル(小さな研究会から大きな研究学会まで、とくに大事なのは同窓会という名の学閥)に参加して、そこで修行していくのだが、それも大事だといいながら、結局、孤独な作業であるという厳然たる実態に即して書いてある。「蒐集的知性」なんてことも身にしみるなあ。

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ヤスパースの生涯を知る

原点回帰の必要を感じて、カール・ヤスパースの『戦争の罪を問う』(平凡社ライブラリー)を読んでいる。今はちくま学芸文庫で『われわれの戦争責任について』というタイトルで出ている。昔は『責罪論』という書名だったらしい。数日たつが読み切れてないのは安保法制の「どがちゃが」があったせいで、本日ようやく戻ってきたというわけ。これはなかなか凄い本で、読んでいるうちに「ヤスパースって、どんな人なんだろ?」という疑問がふつふつわいてきて、こうなると止まらないたちなので評伝を2冊読んでみた。1冊は「人類の知的遺産」シリーズのもの。もう1冊はロ・ロ・ロ伝記叢書のもの。いずれも懐かしいシリーズ。全集編集者のハンス・ザーナーの書いたロ・ロ・ロは情報量が多いが、哲学そのものの解説はわからないから評伝部分だけ読んだ。ヤスパースはハイデルベルク大学でマックス・ウェーバーと同僚だったのね。かなりの後輩になる。でも、すぐにウェーバーが死んでしまう。ずいぶん啓発されたようだ。だから一書を捧げている。「了解と説明」についての本もある。その意味ではウェーバーの衣鉢を継ぐ人なんである。ところがナチスドイツの政権掌握を経て、一気に肩身の狭い生活に入る。妻のゲルトルートがユダヤ人だったからだ。ただ、彼自身はわりと「なんとかなる」と思っていたようで、結局ドイツを出なかった。しかしゲルトルートをナチスに連れ去られる可能性がどんどん高くなり、夫婦は青酸カリを用意して、そのさいには自殺する決意をしていたという。連行はもう時間の問題という瀬戸際でナチスドイツは崩壊。ぎりぎり助かるのである。その命がけの限界状況を体験しているから、しかも内側で見ていたから、断罪も厳しいのだろう。死んだ(殺された・戦死した)友人・教え子も多く、ハイデッガーのようにナチスに迎合した友人もあり、戦後はハイデルベルク大学の再建の当事者になって苦労しているから、見極めも厳しい。ハンナ・アレントは弟子筋にあたり、膨大な手紙が残っていて、往復書簡が翻訳で3冊になる。後年はバーゼルに移住して長生きし、きわめて多くの著作を残した。この分量たるや、すごい。

私が学びたいのは、第1に「戦争責任」、第2に「限界状況」に関する理論、第3に「西欧中心主義からの脱却」である。限界状況という言葉を知ったのは、たしか大学1年生の外書購読でマンハイムの『現代の診断』を読んだときだったと思う。そのときは単純に戦争のことだとぼんやり理解していた。以来、ずっと放置してきた言葉だ。3点目については、晩年ウェーバーの信奉者らしく、東洋思想を思索に取り込んでいることである。詳細はまだわからないが確認したいことだ。

というわけで、もう少しヤスパースを読みたいと思っている。